私が「負けるが勝ち」と思えるようになった訳
どうも、ゼロゼットです。
皆さんは「負けるが勝ち」という言葉についてどう思いますか?
辞書によると「負けるが勝ちとは、場合によっては、争わないで相手に勝ちを譲ったほうが自分にとって有利な結果になり、自分の勝ちに繋がるということ」です。
「菜根譚」という本にも、「一歩さがって人に譲れば、道は広くなる」とあります。
ゼロゼットは、正直にいって、この言葉には全く賛同できませんでした。
バカにされるのは悔しい。
いじめられるのは辛い。
いじめられる位ならいじめる方がマシ。
そんな風に思っていたんです。
でも最近、辛いことがあっても、ふと「これでよかった」かもしれないという思いが頭をよぎるようになってきました。もちろん、今でも情けなくて落ち込みますし、自分の態度の改善点について思いを馳せたりもしますよ。
ただ、ふと「勝たなくてよかった」と頭をよぎる。
そう思うようになったきっかけは、人を恨んだことです。
皆さんは、人を恨んだことありますか?
ゼロゼットは、幸か不幸か、この歳になって初めて人を恨む気持ちを知りました。
人を恨む気持ちって、本当に強いんですよ。
こんなこと思ってもいいことないって分かっているのに、頭から離れない。気が付けば呪いの言葉をつぶやいている。ぐるぐると相手の失敗を願う。もしかしたら、生霊を飛ばしていたかもしれません。
恨みを抱くようになって、初めてその怖さが分かりました。
1.恨みの念を持たれるのは、恐ろしい。
四六時中、あなたの失敗を強く願っている人間がどこかに存在しているのです。自分が誰かから恨まれているって、かなり恐ろしいことだと思います。
恨みを持たれることに比べたら、バカにされて笑われている方がずっとマシです。
2.恨みの念を持たせるのは、罪深い。
恨みの念は本当に嫌なものです。しかも、止めたいのに止められない。誰かをこんな嫌な気持ちにさせているのは、罪深いことだと思います。
恨みを持たせることに比べたら、バカにされて笑われている方がずっとマシです。
相手に勝つということは、多少なりとも恨みを買います。勝ちは相手に譲りましょう。バカにされるときは、バカにされておきましょう。強く出てくる人には、強く出させてあげるのです。
何よりも、恨みを買うことを避けましょう。
あなたが負けている限り、あなたが恨まれる可能性は低くなります。
やっぱりバカにされると悔しいけれど、今では、頭の片隅でこんな風に思っています。